Chopin's Music & Stories by Kayo

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ポーランド-愛と悲哀

 

四半世紀をポーランドで過ごしたピアニスト西水佳代が自らのピアノの演奏とお話で託すショパンアルバム集„Chopin’s music & stories by Kayo ”第1弾。このアルバムにはショパンの創作の根底に流れるポーランドへの愛と悲哀のあふれる作品が抜粋されています。

フリデリク・ショパン
3つのマズルカ 作品68-1,2,3
スケルツォ第1番 ロ短調 作品20
革命のエチュード ハ短調 作品10-12
ワルツ第3番 イ短調 作品34-2「華麗なる大円舞曲」
バラード第1番 ト短調 作品23
ポロネーズ第5番 嬰へ短調 作品44
マズルカ(絶筆)へ短調 作品68-4

 

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1810年3月1日にジェラゾヴァ・ヴォーラで生まれたフリデリク・ショパンは幼少期、青年期をワルシャワで過ごしました。当時のポーランドはロシア帝国、プロイセン王国、オーストリア帝国によって全国土を占領分割された第3次分割の後で、政治的にはポーランドという国は存在しませんでした。それだけにポーランド人の祖国復活への願望は切実なものでした。

このアルバムは祖国を離れる前の青年期に作曲された作品68の3曲のマズルカから始まります。病弱なショパンが療養をかねてヴァカンスに訪れた田舎で踊り歌われ演奏されていたポーランド各地方の民俗音楽にインスピレーションを受け、生涯にわたって彼独特な手法で作り上げたマズルカ曲集は彼の全作品の4分の1以上を占めます。この3曲はまさにポーランドの田舎の風景をショパンの音の絵の具で書き上げたという感じです。

外国での活躍を胸に大学卒業後20歳で故郷を離れウィーンに向かったショパンは、到着後まもなく11月蜂起の知らせを受け、悲惨な気持ちでクリスマスを迎えました。家族や友人の安否を気遣い孤独を噛み締め後悔の念に駆られながらクリスマスイヴの夜中を聖ステファン教会で過ごしたショパンの張り裂けるような思いが聞こえてくるようなスケルツォ第1番ロ短調。この曲の中間部ではクリスマスの時期になると家族や友人皆で歌うポーランドの有名なクリスマスキャロルのメロディーが聞こえてきます。次の革命のエチュードも11月蜂起に友人と共に参戦したくても出来ずその悔しさを託したといわれています。

この時のショックはショパンの心に大きな傷を残し、彼の作風に強く影響を与えました。

19歳の夏の旅行で訪れデビューコンサートも大好評を得たウィーンの様子は1年でずいぶん変わっていました。ポーランド人の独立活動はオーストリア人にとって面白いものではなく、愛国心の強いショパンは敏感にその雰囲気を感じ取り屈辱感を味わうこともしばしばありました。それまでのサロン風の華やかな雰囲気とは程遠いワルツイ短調作品34第2番はウィーン中で流れる陽気なワルツとは対照的なものです。

美しいバラード第1番ト短調はポーランドのロマン主義三大詩人の一人アダム・ミツキェヴィチュのバラッドの影響を受けウィーンでの孤独な時期に発想したといわれています。 戦場の様子や平穏なポーランドの風景が走馬灯のように浮かぶポロネーズ嬰ヘ短調作品44についてショパンは「ポロネーズ形式の幻想曲」と言及しました。

帰郷を切望しながらもその願いは叶うことなくショパンは1849年10月17日にパリで息を引き取りました。彼の絶筆となったマズルカ作品68第4番へ短調は祖国への深い愛と悲哀を心に旅立って行ったショパンの辞世の句のようです。

2012年8月 
西水佳代

 

ショパンの手紙

ショパンは幼い時から筆まめだったようです。その中で現存された最も古い手紙は6歳のときに父に宛てた命名日のお祝いのカードです。6歳の子供が書いたとは思えないくらいの美しい筆跡とその文体そしてデコレーションのイラストには、ショパンの音楽だけでなく幅広い芸術的才能がうかがわれます。

病弱なショパンが夏休みを利用して療養をかねて田舎の知人宅に長期滞在した時にはその様子をワルシャワの両親宛に新聞記事にして送りました。新聞名も当時有名な「ワルシャワ速報」をもじってつけ、田舎の日常生活や家畜、自分の周りの出来事をユーモアあふれる記事にしました。

20歳で外国に旅立ったショパンは、離れた家族友人知人にさらに多数の手紙を送りました。そのうちの700通近くを現在読むことが出来ます。自分の考えや気持ちを音に託し美しい数多くの作品を残したショパンですが、手紙には生々しい彼の姿を読み取ることが出来ます。
ここにはこのCDに収めた曲を作曲した当時の痛ましい心境をしたためたくだりを抜粋しました。

次は挫折を味わった8ヶ月のウィーン生活をあとにし希望のパリに向かう途中のシュトゥットガルト滞在中、ロシア軍のワルシャワ占領の知らせを受けたショパンが慟哭の気持ちを綴った彼の手記の抜粋です。



ショパンの手紙 ポーランド国立ショパン協会所蔵 http://pl.chopin.nifc.pl/chopin/letters/search 

日本語翻訳:西水佳代

 

 

感謝の気持ちをこめて

スポンサーになってくださった国立環境保護水質管理財団、Eko Cykl リサイクル企画(株)、M&Mコンサルティングのみなさま、本当にありがとうございました。

このCDとウェブサイトは友人知人の温かい心と励ましのおかげで出来上がりました。

この場を借りてお礼申し上げます。

-あらゆる面で支援してくれたカシャ&ヤレク・ミフニェフスキ夫妻に。

 カシャにはマズルカの3番、ヤレクにはスケルツォの1番を感謝の気持ちをこめて捧げます。

-私の書いたポーランド語の文章を推敲してくれたアニータに。

-CDジャケット、ウエブサイトのテキストの英訳、英文テキストについてアドバイスをしてくれたクバに。

-日本語テキストの校閲をしてくれた宮原慎一氏に。

-CDジャケットの英訳をしてくれた中山桃子ちゃん、Jillian DiGiacomoさん、オスカルに。

-素敵な写真を撮ってくれたマチェクに。

-録音中穏やかに対応してくれたウーカシュに。

-すばらしい音の鳴るピアノに調律してくれたマルチンに。

-スタジオでいろいろ心遣いしてくれたカロリナに。

-オリジナルなカバーデザインをしてくれたピョトルに。

-ウェブサイト作成に悪戦苦闘してくれたヴォイテクに。

-いつも応援して待ってくれている日本の友達に。

-私を理解し支えてくれる夫と子供たちに。

...そしてここでは名前を挙げられなかったけど本当にお世話になったみなさまに...

ありがとうございました。    

 

 

 
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